荻窪線建設史

201億円を投じて建設された荻窪線の背景

1954(昭和29)年1月に開業した丸ノ内線は、東京では銀座線に次いで2番目、日本では4番目に開業した地下鉄です。

丸ノ内線の池袋~新宿間が全通し、赤坂見附で銀座線と丸ノ内線が同一ホーム・同一方向で相互に乗り換え可能となり、都心の交通は利便性が向上しましたが、東京の都市交通事情から見れば、人口増加によって国鉄(現:JR)中央線の最混雑時は乗車率300%という限界を超えた状況にあり、これを緩和するために営団地下鉄(現:東京メトロ)は201億円という巨費を投じて新宿から延伸する荻窪線を建設しました。

工事は、地質が比較的恵まれた条件であったため、ほとんどの区間は開削工法を採用しましたが、今後の建設に最新技術を導入するため、分岐線の一部側壁を試験的にイコス工法で先行施工しました。
荻窪線は着工以来約2年11ヵ月を経て1962(昭和37)年に全線開業し、西部近郊地区と都心を結ぶことが可能となり、当初の目的であった中央線の混雑緩和に貢献しました。

また、荻窪線という名称は丸ノ内線の延伸路線であるため、1972(昭和47)年に廃止し「丸ノ内線」に統一しました。

目次

  • 第1編 荻窪線建設施行概要
  • 第2編 荻窪線年度別建設概要
  • 第3編 土木工事
  • 第4編 建築
  • 第5編 軌道
  • 第6編 電気
  • 第7編 車両および車両工場