日比谷線は、北千住~中目黒間20.3kmを計画し、1964(昭和39)年開催の東京オリンピックまでに全通させることが社会的な要請となっていたなか、1959(昭和34)年に土木工事に着手し、東京オリンピックのおよそ1カ月半前に全通しました。
この日比谷線の最大の特徴は、北千住で東武鉄道と、中目黒で東京急行電鉄と相互直通運転を実現することでした。当時、相互直通運転方式の導入を決定したことは営団地下鉄でも初の試みでした。戦後の復興に伴い郊外の発展がめざましい当時、通勤輸送の長距離化が進むなかで乗り換えが不要なのは乗客にとっても望ましいことでした。
しかし、地下鉄道と郊外鉄道の路線規格の調整が最大の問題でした。
日比谷線は、従来の地下鉄の集電方式である第三軌条方式から、郊外鉄道で用いている集電方式に合わせてパンタグラフ方式を採用しました。また、車両はセミステンレス製車体の3000形で、随所に新しい技術が注入されましたが、最も注目されたのは、運転保安装置として従来のATS(打子式自動列車停止装置)に代わり新しく開発されたATC(自動列車制御装置)の導入でした。
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