半蔵門線の延伸部である水天宮前~押上間は、1985年(昭和60年)運輸政策審議会答申第7号で、首都圏北部と東部地域における人口増加に対処することを目的として策定されました。
この路線の整備は、地元からも強い期待が寄せられていましたが、財源等の問題から着工が見送られていましたのです。しかし1993年(平成5 年)度の緊急経済対策により、新社会資本整備の一環として都市鉄道の整備が見込まれたことから、1993年(平成5年)6 月に第1 種鉄道事業免許を営団が取得し、この路線の整備が具体化したのです。その後、直ちに必要な手続や各種協議が進められ、並行して同年12月には工事が着手されました。
これ以降、様々な障壁や難工事を乗り越えて、9年余りの歳月と莫大な建設費を要し,2003年(平成15年)3月19日開業に至りました。
丸ノ内線建設以来、7路線の建設で部分開業や全線開通を積み重ねていましたが、帝都高速度交通営団としては、この開業が締めくくりの新線開業です。
水天宮前~押上間は、一部の民地下を除いて、大部分が都道清洲橋通り及び四つ目通り下を通る延長6キロの区間です。この間で、新設4駅すべてにおいて他路線との連絡が図られ、隅田川東岸地域の鉄道ネットワークが格段に充実しました。
さらに、江戸の風情を醸し出す歴史のある沿線の町並みに活力を与え、沿線のますますの発展とまちづくりに大いに貢献したのです。
また、この間の開業によって、半蔵門線は渋谷~押上間16.8キロが全線開通し、従来の東急田園都市線渋谷~中央林間に加え新たに東武伊勢崎線・日光線押上~南栗橋間と総延長98. 6キロの相互直通運転が実施され、神奈川県から東京都を横断して埼玉県に至る交通の大動脈が完成しました。
この半蔵門線の全線開通によって、東京圏では営団8 路線を含め計12路線の都心及び東京周辺の地下鉄ネットワークが整備され、都市生活の足として便利で多様な運輸サービスが提供されるようになりました。
本建設史は半蔵門線水天宮前~押上間の建設の目的から工事完成までの経緯を綴ったものです。
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